オリンピック前の北京

5月半ば1年ぶりの中国北京の旅であった。初日は雨に出迎えられたが、新縁の北京の雨にも趣があった。翌日は黄砂で緑が全てかき消されてしまい、砂ボコリで目も開けられない。

3日目以降は、33度以上の夏日となった。大陸の天気は変わりやすい。5月から6月の天気も日本のそれと違い春から急速に真夏へと変わる。

さて、オリンピックを来年に控えた北京だが至る所工事中のビルが目に付いた。また王府井(日本の渋谷・池袋だろうか)では、店舗の前の舗装が剥がされていた。交通渋滞も日本のそれと似てきている。

北京の町の風物の1つである下町の路地、胡同(フートン)も一部を残しオリンピックまでは整理される様である。失われた物は、二度と再生できないものが多い。胡同などもこの良い例かもしれない。

時代によって創り出されたものである以上、新たな時代の到来によって消失していくのはいたし方ないかも知れない。
文化大革命の時(1966~1976年)、多くの古典や歴史的資料、更には文化が破壊された。

北京で有名な京劇も例外ではなかった。我々と関係のある武術も、その伝承者と技術が武術家の死刑や投獄、海外脱出に伴って一世代抜けた形となっている。更には、過去の名手といわれる方々の墓までが破壊されてしまったようだ。

中国武術の殆どがこの時代、大きなダメージを負っている。しかし他人事として笑っている訳にもいかない。日本においても空手に関して言えば、古典的な型や技術の伝承を次の世代に引き継がなければ、それは自然に消滅してしまうであろう。

約100年前の空手の史実・伝承が分からなくなっている。仮に型が残ったとしてもその使用法や、使用する為の体の創り方等が失伝してしまえば、その型は抜け殻の様なものであろう。

若い人々がその抜け殻を見て役に立たぬと思うのは当然の結果である。そしてスポーツ理論のみで考えられたスポーツ空手が残るだけとなる。稽古とは古(いにしえ)の物事を稽(かんがえる)と言う事を忘れてはならない。

押忍!

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください