中国始末記

中国・福建省に行って来た。武術交流と前回このページで述べた様に我々の空手のルーツを理解する事によって、型・技術がどう変化していったのかを知る事が出来る。武術的な内容は、さておき中国旅行の顛末を少し!午後、厦門空港に着き、タクシーにてホテルに向かう4~5分でタクシーが異常な振動を始める…案の定、パンクである。別のタクシーへ乗り換える。2台目のタクシーは、クーラーも付いていて快適であった。当日温度は28度と記憶している。

中国では、不測の出来事がよくある。しかしながら今回は、日本にいる間から前兆が起こっていたように思う。約二ヶ月前に中国行きの予約をしたのだがキャンセル待ちの状態であった。9月のこの時期に、何故と思いながらその理由が当日、同乗の人の話で理解できた。「福建からの不法滞在者の強制帰国者が、約100名程同乗していた」との事であった。予約も取りにくいはずである。

翌日、約6時間を掛けて福建入りである。永泰という町へ行く途中、高速道路の降り口が見つからない。「地図には有ったのですが」とドライバー言う。いつの間にか閉鎖されていた様である。永泰での食事の事を書いておこう。今まで食べた事のない物が多かった。「これは、猪に似ていますが違います。これはカエルに似ていますが違います。これは空心菜に似ていますが違います。」全てこの様な調子であった。永泰では、さつま芋を蒸した物が良く出る。

福建の方々の昔の主食であったようである。永泰の人々は、好んで食べていた。御承知の様に16世紀にさつま芋は、福建に伝わり17世紀(1601年)に琉球へ伝わり1614年島津藩の琉球統治によって薩摩に伝わり、飢饉の時(1735年)、青木昆陽がこれを全国に広め、さつま芋となった。いまだに唐芋、琉球薯と言われる所以である。

通訳にリコンファームを頼む。電話が繋がらない。日本からの書面には突然電話番号が変わる場合が有ると書かれていた。通訳の話では、当日の飛行予定の飛行機でさえ飛ばない事さえ有るらしい。ロシアで私も同じ経験をしている。「予約便の集客が少ない為、次の便と合わせて運行すると言う。」物凄い事を平気で行なっていた。共産国では、サービスより実利を取るようである。ガソリン代・高速代・ホテル代・通訳の御礼と瞬く間に所持金が無くなってしまった。

銀行の両替窓口での出来事。銀行に着くなり何やら話しかけてきた男。よく聞くと闇の両替商である。銀行のガードマンが早く両替をしたいのなら彼の方が良いとのアドバイスをしてくれた。レートも銀行より若干高いらしい。OKをするとものの1分も待たず他の男性が中国元を持って日本円と両替してくれた。もちろんドルでもOKとの事だった。この一連の出来事が銀行の中で行なわれていることを行員も他の順番待ちの中国人も不思議に思わないらしい。懐が深いと言っていいのであろうか?

永泰の帰りに琉球と福建の貿易が盛んな頃に創られた琉球館を訪れた。琉球と中国の交流、そして唐手の歴史が刻まれていた館であった。入口の額に波揚不海とあった。航海の安全を祈ったものだろう。現代風に言えば風平浪静となる。

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