思いとは

今年も沈丁花の花の咲く頃となった。私のマンションの庭にも華麗な白い花と爽やか香りが漂っている。この花には、いささかの思い出がある。30年以上、昔になるが、まだ私が気功を学び始めた頃の事である。気功の意味も形も、更には武道的本質も十分に理解できぬまま毎日の様に立功(立禅)を行なっていた。細部に渡って教えてくれる者もなく毎日立ち続けることにしか意義を見出すことが出来なかった。雨の日も雪の日も立ち続けた。

その頃は、まだ日本に気功や太極拳の知識の少ない頃である。笑いながら通り過ぎて行く者も多かった。毎年2月になると練習をしている公園の生垣の沈丁花の花が咲き始める。立功をしていてもその香りが感じられる。「今年も1年また続けられた」その思いが沈丁花の花にはある。

その後、この立功の源流を求め、日本・台湾・中国に師を求めた。30年以上経過した今は内家三拳(太極拳・形意拳・八卦掌)を学ぶことができた。更には、我々の空手のルーツである少林拳にまで遡ることが出来た。

人間の思いは、必ず実現するものである。結果が十分か不十分であるかは思いの強さによるかも知れない。更には、年月も必要とするかも知れない。私の中国武術に対しての思いは三十数年経って実現し始めている。

玄奘三蔵がガンダーラ(インド)より持ち帰った経典の中に「現象界にあるものは、人間の意識より創られている。よって思いは実現する」という唯意識論が有る。

押忍!

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