達成スポーツとは

柔道の山下氏と大相撲の朝赤龍関と会食をする事ができた。片や柔道無差別級の金メダリスト、片や大相撲の前頭である両巨漢に挟まれて、肩身の狭い思いとはこう言う事だろう。武道の本質論など話せば良かったのだが、試合での心構えとか柔道と空手の交流史に話は終止してしまった。

昨年の西日本新聞にこんな記事が載っていた。

前略 『武道界は、時代に対して余にも物分りが良すぎた。「青少年の健全育成」とか「人間形成」とか言った建前が揚げられてはいるものの、昨今の武道界やスポーツ界を支援しているのは浅はかなヒロイズムや無責任な娯楽主義であって、教育としての武道を本気で考えている者は指導者の世代交代で最近ではすっかり少なくなり、現代武道の指導理念は見事に「試合成績」一本に絞られたかの観がある。

現代武道が「人間形成」をも視野に入れていると主張するのは困難であろう。武道による人間形成を言うのであれば、それが可能である理由とそのための手法による実証を提示できるのでなければならない』 後略

同感である。私がトーナメントやカルビーの全国大会で言い続けている事の一面を指摘している。コーヒーブレイク上なのであまり固い話は避けるが、あまりにも結果主義が優先してしまっているのではないだろうか。試合では、あらゆる手段を用いて勝つことを優先し結果を残した者のみを良しとする。達成スポーツの弊害とも言る。

又、結果のみにこだわる事により体力の限界が競技の限界としてしまう傾向にもある。結果よりも過程の中に大切な物がある場合が多い。
例えば負ける可能性の高い試合に挑み続ける勇気や試合へ向けてのプロセスの中での努力や忍耐の中にこそ人間を成長させる可能性を包んでいる様に思う。

指導者は、負けても頑張り続ける者達への配慮が大切であろう。結果主義の行き着く先は、結果の出ない事には挑戦しないという無気力症の蔓延であるし、結果の為に手段を選ばなくなる行為である。負けない子供達より、負けを恐れない子供達が育って行くことを望みたい。

押忍!

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